うまくなるはず?

こっそり教えるロック・ギター上達術

はじめに

 先月まで“脱・初中級者ギター講座”なるモノを連載していましたが、みなさんいかがでしたでしょうか!? ありきたりのギター講座にならないように努めてまいりましたが、実はギターって“ただ単に弾けるようになる”のは、そんなに難しくないんです。正しいトレーニングをそれなりに時間をかけてやれば、ホント、3年もすれば超絶テクニックを必要とするモノでない限り、弾けるようになります。ただ、そうは言ってもこれは“物理的に弾けるようになる”というだけの話で、アナタのギターの弦が振動するのと同時に他人の心も揺さぶれるかどうか!?ってのとは別問題なんです。

 最初にやった講座は、時には心理的なトレーニングについても言及しましたが、基本的には物理的なトレーニングをメインにしておりました。まあ指が動かなくちゃ始まりませんものね(笑)。ですから難易度順にトレーニングをしてきました。さて、今回始める当講座はそういった難易度とは直接関係ありません。どこから参考にして貰ってもかまいません。ある日突然「ああっ!?そうだったのね!!」と腑に落ちるというか、目から鱗というか、そういうモノを目指していきたいと思います。自分でも余りにも感覚的すぎて上手く文章では伝えられないことが多くなりそうですので、定期的な更新はお約束できませんが、可能な限り力を振り絞ってみなさんのお役に立ちたいと思っております。そして何かお役に立てた暁には……、私の楽曲をダウンロードして下さいね(笑)。

 というわけで、みなさんのお役に立つ気満々ですので、ぜひとも“言いたいかも”のブログの方と併せてご訪問下さい。宜しくお願いします!!

(2012/8/5)

Scene1 コードは“ワイド”に弾くんだよ!!

 さて、前回はいかにも新企画が始まったかのような気配でしたが、実は序文しか書いていないという、“更新しました!”とか言ってんじゃねえ~よっ!!と思った人もいたかもしれません。今回はちゃんと本編があります(笑)。この講座の狙いは、ギターを技術的に“だけ”弾けるということではなく、技術的には弾けているけど、じゃあそれを人の心に届けるのはどうすればいいのか!?ってことです。え~と、しばしばメチャクチャ指は動いていて、技術的にもかなり難しいフレーズが弾けるのだけれど、聴いていて何にも感じないというか、音が立ってないというか、音が生きていないプレイをするギタリストっているでしょ!? それをどうにかしよう!!って感じかな!?偉そうに言って申し訳ないですが、

「本当に上手いプレイ!!」

をするためにはどうするか!?ってことを伝えたいのです。

「ああ!?そうなんだっ!?」っていう瞬間がきっとあると思います。“ギター開眼法”と“言いたいかも”も併せて読み続けていただければ、きっとアナタのギター・プレイの上達の助けになると思います。宜しくお願いします!!

 では今回は、コード・ワークについて。以前友人に、「お前のようにバッキングというかコードを鳴らすにはどうしたらいいの?」と訊かれたことがあります。誤解をまったく恐れずに、一言で言ってみましょう!!

「コードはね、“ワイドに弾く”という感じかな!」

 何を言っているか判らないかもしれませんが、私にとっては言葉にするなら最も近い感じです。上手く説明できないかもしれませんが、トライしてみます(笑)。

 “ワイド”ってのはそのまんまの意味で、たとえば6弦全部鳴らすコードを弾くとしますね。この時に私のアタマの中には仮想の7、8弦や0、-1弦もあるという感じ。実際には6本の弦しかありませんが、上下にさらにそれぞれ弦があって、右手のストロークの振り幅をまるで10本分の弦があるかのような感じで弾く!!ということです。もちろん、実際必ずしも物理的に10本の弦があるように右手を振るということではありません。そういう気持ちで弾くってことです。だから言葉にするなら振り幅が“ワイド”になるという感じなんです。これはたとえば3本や4本の弦を使う時も同じで、より多くの弦を弾いているように“ワイド”な心持ちで弾くのです。

 これは“強く荒々しく弾く”という意味ではありません。ワイルドにガァ~っと弾くことなら誰だってできます(笑)。リズム・ギターですから、絶対にコントロールされている部分が必要です。だからと言って、コントロールする部分が優先され過ぎるあまりに、“チマチマ”とドライブ感が失われた演奏になってしまうこともあります。この加減が難しいんですけどね(笑)。だから、こう……、もっとコードを大きく捉えましょうって感じなんです。っていうかリズム・ギターを弾いている時は、実際よりギターがデカくなっているつもりというか……(笑)。

 いや、実際のところこの企画は大丈夫でしょうか!? いきなり観念的過ぎたかもしれませんね。でもね、これってず~っと私が思っていることなんです、イマイチなリズム・ギターを聴く度に、

「もっとワイドに弾けばいいのに……。」ってね!!

(2012/8/12)

Scene2 太い音の誘惑

 ってなワケで、ギター上達法の第2回です。ある意味「本当に上手いプレイ!!」をするためにはどうするか!?ってのを伝えたいって、かなり上から目線という気がします(笑)。大体、みんなさんが「鈴木ってそこまで言うほど上手いか!?」という疑問を持ってしまったらアウトですね。でも、もう賽は投げられたってことで腹を括ります。もう私のギターがプロとして標準以上という前提で話をします。

 さて、今回はギター・トーンの話をします。まだ私が10代の頃の話なんですが、日本のロック・ギタリストの巨匠とも言ってもいい方がインタビューで、こんなことを言っておりました。

「プロとアマチュアの差は何か!? 一番の差はギター・トーンだと思う。大抵のアマチュア・ギタリストはトレブルが弱いというか、甘いんだよね!!」

 ええ、今回はこの言葉を検証しましょうって話。偉そうなこと言いたいワケではありませんが、これは私も思っていたんですよ!! じゃあ、どうしてそうなってしまうのでしょうか!?

 みなさんは“太い音”と“細い音”という言葉を聞いた時、どちらにポジティブな印象を受けますか!? きっと多くの人がそうだと思うのですが、“太い音”じゃないですか!? ここに鍵があるような気がします。じゃあ、太い音なら何でも良いのですか!?って聞かれたら、多分「そんなことない!!」って答えるとは思うのですが……。

 ギター・トーンのセッティングをする時に、太い音にしようとするあまりベースのツマミを上げすぎてませんか!? 確かにベースを上げると太い音になります。やった!!目標達成!! でも今度はトレブルが足りなくてモコモコとしたサウンドになっていませんか!?

 実はここが盲点で、ここでトレブルも上げちゃうと、特にディストーション・サウンドの場合、右手のミュート・コントロールが上手くできないと非常にノイズが出やすくなります。それでビビっちゃうんですよ!! ホントはトレブルも上げるべきなのに、全体的に太い音になったことに満足してしまうのです。だってトレブルも上げたら下手に聞こえちゃう!!こんな事態に陥っている人が多いのでは!?

 参考までに私の場合、スタック・タイプの大型アンプ、ラック・タイプのプリアンプ、それとPODなどすべて所有しておりますが、いずれの場合も大抵ベースのツマミは“0”です(笑)。で、ミドルとハイが“10”で、プレゼンスはケースバイケースという感じでセッティングしております。これでも充分太い音になります。もちろん私がレスポールをメインに使っているというのもありますが、ベースなんて上げちゃうと、低音がうるさ過ぎですわ。低音なんてベースに任せれば!?

 一度試しにやってみるとイイかもしれません。ベースを下げちゃって、トレブル上げてディストーションでガシガシ弾いてご覧なさい!! キチンとノイズをミュート・コントロールできれば、バンド・アンサンブルの中にあっても、キチンと突き抜けた前に出てくる音になりますよ!!

(2012/9/02)

Scene3 弦高について本気で考えてみる

 このところブログの方で弦高についての考察を連発していました。何かねぇ~、ウェブ上でいろいろなギター関係の記事を見ていたら、それこそ弦高についての記事ってのが、たくさんあるのですよ。で、大抵は「いかに弾きやすくするか!?」ってことが焦点であって、「いかに良い音を出すか!?」って記事がゼロではないにしても、非常に少ないのです。それだけならガマンもするのですが、弦高についての記事を書いている人達自身、「弦高が高い方が音が良い」事実に気づいているというか、実際にそう書いている人もいるのです。

 余計なお世話なんでしょうが、これは音楽なんですよ!! いかに素晴らしい表現をするかなんですよ!! そこには当然「良い音で演奏する」ことも含まれていて、「演奏者が弾きづらいから音は悪くてもイイ」なんて考え方はまったくのナンセンスだと私は考えるのです。ブログでも書きましたが、大抵の楽器は基本的に“あるがままの状態”で演奏するのが普通です。クラリネットの指が届きにくくても、それは変えられません。なんとかしてその状態で演奏できるような努力をするしかないのです。ピアニストで指が届かないからって、小型のピアノを特注したりはしないでしょ!?(笑) 良い演奏のためには、努力して“自分を変える”のが普通なんです。

 ある楽器を演奏するには、技術的に上手に演奏するのはもちろんですが、その楽器の良さを最大限に生かす努力も必要だと思います。私が言いたいのは、ギター・プレイの点数というモノがあるとして、弾く人の技術とギターの音をそれぞれを10点満点として、そのかけ算で点数をはじき出すとしたときに、音の方を“5点”のままにしておいてどうするの!?ってことなんです! 弾き手がどんなに努力したって、それじゃ50点までしか取れないじゃん!? むしろ音の方は、何とかすればそのギターが持っている最高点を出すことが可能なのですから、そちらをまず設定してから、技術的な努力をするのが正しくない!? 他の楽器はそうなっているんですよ。この考え方どう思います!? もちろん、考えようによっては、「弾き心地を調整できるエレキ・ギターは素晴らしく、それを利用しない手はない!」とも言えますけど、それによって確実に良い音が失われるのが判っているのに、

「指の動きは追いついているけどサウンドが良くないショボい演奏」

をしても得られるモノは少ないでしょ!?

 良い演奏をしたければ、ここは選択の余地は無いと思うのです。ですから、「弦高を下げてみれば、弾けるようになるかもしれませんよ!?」という意見は逃げでしかないのでは……。「弾きづらいからといって、弦高を下げてしまうと音が悪くなってしまいます。それで弾けるようになったからって、あまり意味はありませんから、もっと努力しましょう!!」というような意見があってしかるべきでは!?それを私は言ってるんです。

 まあ、そんな感じなんですよ。余計なお世話なかもしれませんがね(笑)。弦高が高いことは単に弾きづらくなるワケではなく、メリットもいろいろありますから、当ホームページのギター開眼法 “Lesson17 真実は弦高とともに”も参照して下さい。

“ああ、何かしつこいよ!このオッサン!”

って感もなきにしもあらずですが、上級者向け及び上級者やプロを目指す人向けの話なんですがね。上達したいのであれば、一度自分の弦高と真剣に向き合ってみるのも大切かもしれません!! 

(2012/9/30)

Scene4 ここらでちょっと良い音について考えてみる

 再三にわたって弦高についてツベコベ言っている私ですが、今回もそれに関連しているかもしれません。え~と、今回は“良い音”とはどういうことか!?ってことについて書いていきます。

 え~と、最初に断っておきますが、一口に“良い音”といっても非常に主観的な話であり、これが良い音であるという明確な答えが出せるモノではありません。ですから、その人にとっての良い音を出すためのアプローチだと一応考えておいて下さい。

 さて、みなさんが良い音だとイメージする音とはどういったモノでしょう!? 大抵のアマチュア・ギタリストは余程自分の技術と感性に自信がない限り、自分が最も好きなプロ・ギタリストの音になるのではないでしょうか!? これってすごく普通のことだと思われます。そこで考えて下さい。アナタはそのギタリストの音を、

  1. ・・・自分では出そうと思っているが、上手く出せていないと考えている。
  2. ・・・自分ではほとんど同じ音が出せていると思っているし、満足している。
  3. ・・・自分ではほとんど同じ音が出せていると思っているが、実はもっと良い音があると思っている。が、現段階でその音を自分では出せないでいる。
  4. ・・・自分が好きなのだから、そのギタリストの音は良い音だと思っているが、もっと良い音があるはずだと思っているし、実際にその音を自分で出せている。

 まず(1.)の人、手を挙げて下さい(笑)。それができない理由はいろいろ考えられるのですが、一番マズイパターンは私が思うに機材のせいだと思っている人です。もし、そういう風に本気で考えているのなら、そのギタリストが使っているモノと同じ機材を揃えたところで、きっと望んだ音は出ないと思います。そういうことではないです!! アナタが憧れるギタリストは、きっとアナタの機材を使っても、いつもの音を出しますよ!!

 というワケで機材のせいにはしないで下さい。(1.)の人は、単純に技術的な練習が不足している場合もありますし、出そうとしている音に対してのイメージが不足しているのです。以前“ギター開眼法”でもっとトレブリーな音にしたい時は、アンプのトレブルを上げるのと同時に「もっとトレブリーな音に!」という気持ちで弾きましょうと書きましたが、そういうことです。その気持ちの部分は決してバカにできないのです。

 次に(2.)の人。出せているの非常に良いことです。ところで、アナタのお気に入りのギタリストはこれまで聴いたプロ・ギタリストの何人の中の一番ですか。もし10人程度だとか、これまでに聴いたCDは100枚程度だと言うのであれば、他のギタリストやCDをできるだけたくさん聴いてみましょう。もっと世の中には素晴らしい音を出しているギタリストがまだまだいるはずです!! そして、イヤイヤ俺はこれまで何千枚ものCDと何100人ものギタリストを聴いた結果でそうなんだよ!!という上で(2)だという人。それならば次のステップに進んでみませんか!? だって、その音はそのギタリストの音ですからね(笑)。その素晴らしい音を再現できる技術と精神性があるのであれば、きっと“アナタ独自の素晴らしい音”を追求してみるのもムダではないはずです。

 (3.)の人はかなりイイセンいっています(笑)。もうほとんど「もっと良い音を!」ってイメージを持っているだけで、“勝ったも同然!!”って感じです。こういう人は他人のカヴァーを演奏しても、きっとその人なりのオリジナリティが出ることでしょう! そのまま悩みつつも邁進して下さい。えっ!?具体的な方法論は無いのかって!? え~と、それはきっと正しい姿勢だって言うだけじゃ足りない!? その姿勢が大事なんだってば!!

 (4.)の人は……、別に何も言うことありません!(笑)

 というワケで、実は私が今回一番言いたかったことは、

「自分は良い音というものを本当に知っているのかどうか!? 一度考えて見よう!!」

だったりするのです。(1.)、(2.)に該当する人は特に真剣に考えてみましょう。良い音の好みは人それぞれだと書きましたが、「大多数の人が良いと思う音」を知っておくのは必要だと思います。自分が良い音だと思っていても、それが大多数の人とは違うモノであったとすれば、それはタダの“悪趣味”ということになってしまうのですよ!!

(2012/10/21)

Scene5 ホントにそのプレイがベストなの?

 みなさん、こんにちは!この“ギター上達術”も5回目になりました。当講座は以前の“開眼法”と違って、「概念的な話のみ!」という感じですので、“一体、このオッサンは何が言いたいのだろう!?”と思うことも多いかもしれません。実を言うと、書いている私も何が言いたいのか時々判らなくなるのです(笑)。イヤ、笑ってる場合じゃねぇ~だろっ!?

というワケで、今回は……、非常に難しい話になっちゃうんですが、

「普段聴いている音楽を客観視してみる!」

という話です。さて、ギターを弾いているみなさんは当然のように、日々音楽を聴いていることと思います。そして当然、ギタリストですから、それらの楽曲のギター・プレイにはどうしても耳がいくでしょ!? で、そのプレイを“客観視”することって普段やっていますか!?

 私はけっこう若い時からこれをやっています。つまり、この曲のギター・プレイはイマイチだな!?と思った時に、「では自分ならどういう風に弾くか!?」とか「どういうギター・プレイがベストなのか!?」ということを考えるのです。

 この時に重要なのは、単純にその曲のプレイを自分のスタイルに置き換えるだけではいけないということです。自分のスタイルでなら、誰だって弾けます。もちろん、自分のスタイルに絶対的な自信があれば別ですが……、っていうか、そんなに自信があるのなら、当ホームページなど読んでないかもしれませんね(笑)。一番重要なことは、「考えられる限りベストな」ギター・プレイは何か!?ってことです。これが“客観視”ってことね。

 何度か触れていますが、音楽の趣味は“人それぞれ”であって、良いプレイ、マズいプレイに対する意見も多種多様になりがちです。ですから、実は音楽を客観視することって意外に放置されている気がします。というか、世間的にも放置しておいて問題はないのでしょう(笑)。好きじゃなければ聴かなければイイだけの話ですな。

 しかし、我々はクリエーターとして他人を出し抜くために、自分がイマイチだと思ったモノについても発想をめぐらせよう!!って魂胆です。他山の石ってヤツ!? しかも、自分のスタイルに限定しないことで、たとえば普段は速弾きをあまりしない人でも、

「ここは速弾きにした方がもっとカッコ良くなるんじゃね!?」

とか思って、その想像するイメージどおりに実際に弾いてみたりすると、自分が持っている技術の幅が拡がったりして、後々役に立つこともあります。

 自分が普段から“スゲ~好き”と思って聴いているプレイについても、一度落ち着いて真剣に“もっと良くなるかも!?”って考えてみると、やはり自分の感性が鍛えられるはずです。客観視する習慣をつけると、感性も技術も上達するんだよ!!って話でした。さあ!!ダマされたと思ってやってみて下さい。

(2012/11/25)

Scene6 マーシャルの音より、アナタの音!

 みなさん、こんにちは!! 非常に不安を感じながらも“ギター上達術”は6回目です。あまりにも概念的なんじゃないか!?とか自分でも思っていますが、ちょっとしたヒントのようなモノでも示せたら!?と思って続けています。しかも今回は簡単なようでいて、実はスゴ~く難しい音創りについて書こうというとんでもないことを考えています(笑)。

 さて、みなさんも気づいているかもしれませんが、ギターの奏法上の教則本はけっこうな数がありますが、それに比べて“サウンド・メイキング術”について書いたモノって少ないような気がしません!? どうしてでしょう? う~ん、いろいろ考えられるのですが、まずそれぞれが使っている機材が違うから、ある限定的な機材でセッティング例を説明しても、あまり意味がない!? さらには、ギターの音は人それぞれのピッキングによって決まってしまう要素が大きいから、仮に同じ機材を使っていて、同じセッティングにしても同じような音にはならない!? う~ん、そんな感じなのかなぁ~。

 私が経験したことを例に挙げてみましょう。私はバンド時代の練習にはいつも自分のアンプを持っていっていました。ヘッドがメタルトロニクスというリー・ジャクソンが創ったブランド(多分、今はもう存在していないかな!?)の100Wのフルチューブ・アンプでスピーカーはマーシャルのオールド・タイプの100Wをスタックで使っていました。ちなみにハード・ロックバンドでしたから、メインの音はディストーション・サウンドですが、エフェクターは使わずに直に繋いでいました。このアンプは4ヴォリュームでして、強力に歪むんです!! で、ある練習の時にギター弾きの友人が来ていまして、彼が、

「ちょっとお前のギター弾かせてくれない!?」

と言ってきたので、「いいよ!」って感じで彼にギターを渡しました。アンプのセッティングも私のいつものセッティングのままです。で、彼がギターを弾き出したのですが、

「えっ!?何これ!?」

って感じの音で、いつもの私の音とは似ても似つかぬ音が出ました。そのままギターを渡しただけなのに……。

 ってなワケで、何が言いたいかというと、弾く人が変わっただけで、そのピッキングのタッチが変わるせいで、トーンも歪み具合も全然違う音が出てしまうのです。だから、“セッティング例”とか書いても意味が無いのかなぁ~って感じはします。オイオイ、じゃあ今日のお題はどうなるのよ!?という不安がいっぱいです。

 さて、私はここからどうするのでしょうか!?(笑) 実は今回は逆転の発想とでも言いましょうか!?ちょっと変わったことの提案なんです。みなさんは、きっと愛用のエフェクターなり愛用のアンプがあるでしょ!? まあ、自分のモノかどうかは関係なく、行きつけのスタジオではいつも使うアンプとかを決めていると思います。きっといつも使うアンプと自分のエフェクターを使えば、自分のお気に入りのサウンドが出ることでしょう。

 さて、自分のお気に入りのサウンドというのであれば、それはその自分が持っている感性とテクニックから成り立っているはずです。で、それが本当に確信的にお気に入りのサウンドであるか!?ということを確かめてみよう!という提案です。

 要するに、いつも自分で使っているアンプやエフェクターを使わなくても、そのお気に入りのサウンドが出るのか!?ということ。これって重要なことだと思います。試しに練習スタジオでいつも使わないアンプに繋いだり、友人のエフェクターを借りて音を創ってみたりしてみましょう。果たして“いつもの”お気に入りのサウンドになるでしょうか!?

 もし、どうしても“いつもの音”が出ないのであれば、その“いつもの音は”アナタの感性やテクニックという要素よりは、いつも使っている機材の個性というか特徴によって成り立っていると思われます。つまり、それはアナタの感性やテクニックによる音ではなくて、いつも使っている機材の音ってだけなのかもしれませんね!ひょっとすると、アナタはその機材のキャラクターを「何となくイイ感じ!」と思っているだけで、自分だけの「確信的に良い音」を追求していなかったのかもしれません!

 マーシャル、フェンダー、ブギーなどの有名ブランドのアンプにはそれぞれの特徴があります。それはそれぞれが素晴らしい音でありますが、結局はそれぞれの設計者がイメージする“最高の音”であって、決してそれ以上ではありません。アーティストがその感性とテクニックを駆使して独自の“最高の音”を追求していれば、結果としてどんな機材を使おうが、それは出せるはずだと私は言いたいのです。

「うん!マーシャルの音だよね!?」と言われるのではなく、

「うん!これはいつものお前の最高の音だよ!!」

と言われるようになりたいよね!!っていうか、言われるようにならないとね!!ってことです。さあ、試しにやってみましょう!! あなたの感性は有名ブランドのアンプのキャラクターをモノともしないで突き進んでいるでしょうか!? しかしいつも思うことですが、変わったギター講座だな(笑)。

(2012/12/24)

Scene7 些細なことこそ、全力で!

 前回の“何様なんだよ?”第3回がまるで当コーナーのようになってしまいましたが、その最後の部分を今回は場所を変えて詳しくというか、もっと判りやすく書きたいと思いました。私が常々思っていることです。え~と、もうほとんどのアマチュア・ギタリストについてそう感じています。これは“上達術”ですから、上達するためにぜひそこから抜け出して欲しいと思っています。

 ある曲を弾く時の“習熟度”の話です。ほとんどのアマチュア・ギタリストと書きましたんで、それがどういうことかを例を挙げて書いていきます。

 あるギタリストがイングヴェイ・マルムスティーンの曲を弾いていたとします。完璧には弾けませんが、まあある程度“イングヴェイの曲を弾いている!!”というのが判る程度には弾けているとしましょう。さて、イングヴェイの曲は難しいです。それが“判る程度”に弾けているのだから、けっこうな技術がないとそれは無理だと思われます。ということはキッス(キッスをバカにしているのではありません!単に技術的には簡単であろうという例です)とかならこの人は楽勝で弾けるだろうし、本人も弾けるつもりになっているであろうと思われます。

 ところが……、このパターンが非常に多いのですが、キッスの曲であっても完璧に弾けるわけではない人がほとんどなのです。多くのアマチュアの傾向なんですがその曲の難易度とは関係なくほとんど全ての曲について、“まあ80点程度”だけ弾けている人ってのが多いのです。どうしてこうなってしまうのでしょうか!?

 単純に言うと“基礎がしっかりしていないから”ということになってしまいますが、その説明ではあんまりだと思われますので、もうちょっと違った側面から話をしましょう。何と言っても当講座は普通でないアプローチが売りですし(笑)。

 もう思い切って人生について考えてみましょうか!?  何事にもというか、些細なことにもムキになる人っていますよね!? ちょっとしたゲームの勝敗にこだわったりとか、他人から見るとどうでもいいその人なりの決めごとに固執したりとか……。他人から見れば、

「そんなことに力を使わないで、もっと大事なことに使えばイイのに!?」

とか思えてしまうようなことにでも全力を使う人ってのがいます。イヤ、実は私、それってとても大事なことなんじゃないか!?とか思っているのです。つまり、“大事なことに力を使う”には、普段から些細なことにでも力を使っておかなければできないような気がするのです。いざという時の大ごとのために、普段のごくごく些細なことで力を使う予行演習をしておくべきではないか!?とかそんな感じです。

 だから、そういった些細なことに“さえ”力を出さない人が、いざという時に力を出せるはずがない!!と思っています。そこで、これをギターの演奏に強引に当てはめますと、「キッスがキチンと弾けない人がイングヴェイをキチンと弾けるハズがない!!」となります。まあ、これは当然と言えば当然です。ただ、多くのアマチュア・ギタリストがこのパターンにはまっている印象です。

 一般的に簡単とされている曲の場合だと……、どうしても実際に弾いてみて、“ああ!簡単だ!!”と思えてしまうので、実は真剣に取り組んでいないということになりがちなのかもしれません。「うん、これは簡単だから次!次!」のような感じで、実際にはマスターしていないのにマスターしたつもりになってしまうのでしょう。ここが意外な落とし穴になっているのです。完璧に弾くということは、その曲の難易度とは関係ありません。むしろ、そういう簡単な曲の時に全力を出して完璧に弾くという習慣をつけるべきなのです。これが先ほどたとえた人生の話と同じで、些細なこと(簡単な曲)に全力を尽くさないと、後々の大ごと(難しい曲)にも力を出せるはずがないのです。

 自分がとうの昔に弾けるようになっている思っている曲を、もう一度じっくりと確かめるように弾いてみて下さい。本当に完璧に弾けますか!? 些細なことに全力を尽くせない、つまりキッスの曲を完璧に弾くことができない人が(重ねて申しておきますがキッスを貶める意図はありません)、いざという時の大ごと、つまりイングヴェイを弾けるワケがありません。結局は簡単なことにでも全力を尽くす習慣をつけておかないと、最終的に大願が成就されることなどあるワケないのです。私の言っていることが判って頂けるでしょうか!?

(2013/1/20)

Scene8 弦がヘタレていくのも感性の上達に役立つのよ

 さて、“ギター上達術”も8回目です。しかしいつも思いますが、ギター上達術って言いづらいですね!? もうほとんど早口言葉として認定してもイイくらいです(笑)。いつも当ホームページの制作に協力してもらっている友人と打ち合わせをする度に、

「ギター上達術なんだけど……」

って言うのが言いづらくてかないませんね。う~ん、タイトルを決めた時には気づいてなかったんですよ。

 さて今回は、アクセサリーについてお話したいと思います。ピック、シールド、弦などについてです。ピックにつきましては“ギター開眼法 Lesson9 ウラオモテ無き人生?”でも書いておりますから、こちらもぜひ参考にして下さい。

 で、ピックなんですが、もちろん「こだわりの一品」を探求するのは大いにけっこうです。っていうか、生涯のウチに一度はトライするべきだとは思っていますが……。同時に矛盾するようなことも書いちゃいます。え~とですねぇ~、ピックは「これじゃなきゃイヤ!!」ってのがあるかもしれないんですが、上手い人ってのは、けっこうどんなピックでも、いつもと同じように弾けたりします。というより、技術や感性が確かならば、ピックごときに左右されなくなる!!とでも言いましょうか。自分に合ったピック選びは重要だよ!!ってのとは相反する話になっちゃいますが、自分の実力を試すために(?)、言ってみればゲームのような感覚で、普段とは違うピックで弾いてみることもお奨めします。もちろん、多少の弾きづらさはあるでしょうが、いつもと変わらずプレイできるようであれば、「俺もけっこう上手くなったのね!?」ってことかもしれません。ただし、これはあくまで自分のお気に入りのピックが、既にある人に限っての話ですが。

 次にシールドです。私がアンプに繋ぐ時はギターから直ってことも大きな理由だと思いますが、シールドはイイものを使いましょう!!と思っています。なにも何万円もする最高級品でなくともイイですが、せめて5mで4,000~5,000円ぐらいするモノをお奨めします。私の経験から言いますと、5mで数百円のモノと2,000円(一番標準的な値段かな!?)ぐらいのモノだと、まず大抵の人が聞き分けられるぐらい音が違います。で、標準的な2,000円ぐらいのモノと4,000~5,000円ぐらいのモノですと、エフェクターを繋いでいると判りにくいけど、アンプに直だったら耳のイイ人ならまず違いが判ります。それ以上の高級シールドについては、お金に余裕があるのならそうすればイイじゃん!?(笑)って感じです。というワケで、現実的な意味で4,000~5,000円ぐらいは出そうよ!!って感じです。けっこう違いますよ!!

 さて、今回の最後になりますが、弦についてです。え~と、これは賛否両論あるかもしれませんが私の意見はこうです。

 現在、コーティング弦というものが各社から販売されています。これは一般的に多少高価なのですが、酸化しにくく弦の寿命が長いというもので、同時に切れにくくもあるそうです。で、弦の寿命は長いものでは5倍ぐらいになると言われています。多少高価であっても寿命が長いのですから、ランニング・コストでは勝っているという話です。私はこの話がウソだとは思っていません。きっとそれは事実です。

 ただし、私は“ちょっと待ってよ!!”と言いたいのです。何故か? ギターの弦を張り換えて、弾いているウチに徐々に弦の響きが悪くなっていく過程を感覚として掴むことも、自分の感性を磨く手段として大切じゃないかな!?と思っているからです。もちろんコーティング弦だとこれが無くなるわけではありませんが、確実にその機会は減りますよね!? だって、音が中々悪くならないんでしょ!?(笑)。まあ、ちょっと屁理屈気味かもしれませんが、自分が最も好きな音が“張り換えたばかりの音”なのか“多少金属的な感じがおさまってから”なのか?ってのも判りづらいじゃん!? そもそも弦は消耗品なんだし、どうせライブやレコーディングの直前には弦を張り換えるだろうし、また普段弾いている時に“張り換え時”を学習するのもギターの鍛錬の一つかなぁ~!?と思うんですよ。

 実際のところお金の節約になるとか、張り換えるのが面倒だからとか、コーティング弦にするメリットはあるのでしょうが、ギターをいつも良い状態に保つというクセをつけるという面を考えても、「寿命が長い弦」ってのはどうかと思います。私にはデメリットの方が気になってしまいますね。弦がヘタレていくのを敏感に感じ取ることも一つの感性だと思いますよ!! そんな感じです。またお会いしましょう!!

(2013/2/17)

Scene9 デメリットがメリットに!

 さて、けっこう毎回何を書こうか悩んでいる当コーナー。今回は自分が普段やっていることを参考に書きます。っていうか、自分が普段やっていることを元に書くのは当たり前!?そうでなくちゃ説得力がナイじゃん!?って話もありますね(笑)。

 私のギター・スタイルを言葉で表すのは非常に難しいのですが、まあとりあえず、現代的な超速弾きスタイルでないことは確かです。スウィープ・ピッキングやタッピングなどは基本的にやりません。何故やらないのか!?

「そういうプレイは好きじゃないんだよ!!」

とでも言っておけば、もうそれでOKって気もしますが、それじゃあんまりですので、もうちょっと丁寧に説明しますと、「自分の表現したいプレイとそれらのプレイ・スタイルが、あまりマッチしていない!」って感じです。

 私のプレイを聴いてくださったことがある方や、当ブログの“ギター開眼法”を読んでくださった方なら理解できることと思いますが、私のギター・スタイルはオルタネイト・ピッキングがメインでしかもそのタッチは強く、スウィープ・ピッキングはまさに“対極”にあると言えるかもしれません。

 イヤイヤ、スウィープなどのプレイ自体は嫌いじゃないんです。とても上手にプレイするギタリストもたくさんいますし、そのプレイ・スタイルを否定するワケじゃありません。それどころか、「スゲ~イイじゃん!!」って思うことだってけっこうあります。

 でもまあ、正直言ってしまいますと、今後私が自分の楽曲にこれらの奏法を用いた演奏をする可能性は、ゼロとは断言しませんが、限りなくゼロに近いとは思っています。

 では、“自分の表現したいプレイとマッチしない”奏法だから私は全然それをプレイしないのか!? 実はそうじゃないんです。こっそりスウィープとかもやってるんですよ(笑)。タッピングについては若い頃はかなり熱心にやってました。今はほとんどやらなくなりましたけどね。じゃあ、何で練習しているのか!?

 この、物理的にというかフィジカル的にまったく違った右手の動きが……、それぞれの良さを知ることの助けになっているのです。スウィープをやることによって、スウィープでは表現できないことを知ることができて、オルタネイト・ピッキングにおいての表現法に対する理解というか、オルタネイト・ピッキングはこうあるべきだという確信も深まりますし、その逆もそうなんです。たとえばスウィープだと音符ごとの強弱はつけにくいじゃないですか!? でもそれをやっていると、オルタネイトで弾く時にこれまでより強弱のニュアンスに対して敏感になっているんですよ!! スウィープをやる時のデメリットが、オルタネイトでは自分の感性にとってメリットとして還元されるような感じです。

 普段の自分のアプローチとは違うことをやってみると、本来の自分の感性の成熟度が増すんだよ!!そういう感じなんです。ついでに言いますと、やっぱり自分の技は豊富な方がイイじゃん!!って単純な話でもあります。まあ私の場合、こっちはオマケでしかないですけどね。実は私、スウィープをやることでオルタネイトの成熟度を上げているんですよ!きっと。そういうワケで、自分のスタイルではナイ!と思うプレイもやってみることもお奨めします。そんな時間は無いんだよっ!!とか言わずに……。時間は作るもんですよ!!とか偉そうに言ってみたりして……。またお会いしましょう。

(2013/3/17)

Scene10 だってずっと鳴り続けているのよ!!

 始めた時には、“一体どうなるのだろう!?”と思えたこのコーナーも遂に10回目です。このところ三つのコーナーを交代で更新しているワケですが、この“ギター上達術”はいつも力が入りますね。まあ、力がムダに入り過ぎてワケ判らなくならないように、できるだけ努めている鈴木です。

 さて今回は、「バッキング・ギター」について思うことを書いてみます。ギター・キッズのみなさんはどうしたって“ギター・ソロ”に耳が行きがちというか、自分でプレイする場合もそこに力を入れがちだと思います。まあね、確かにね、カッコイイギター・ソロってのは楽曲に強烈なアクセントを与えることができますし、「ソロが上手い=ギターが上手い」という評価も下されがちです。

 でもここで考えてみましょう。ギター・ソロなんてたとえば4分の曲だとして、曲全体を考えたら何分の一よ!?せいぜい数秒から数十秒しかないワケです。言ってみれば楽曲のほんの一部でしかありません。その部分が上手いからってそれでイイのでしょうか!?イイわけないのです!! どうしてこんなことを言うかというと、アマチュアのみなさんはどうしてもソロをどう弾くかってことばかり考えて、バッキングにあまり注力していない場合が多いような気がするからです。

 多くの楽曲はその演奏開始から終了まで「バッキング・ギター」が鳴り続けています。つまり「バッキング・ギター」は、常にその楽曲の重要な構成要素なのです。ですから楽曲の格好良さを決める重要度としては、ギター・ソロなんかよりもず~っと上なんですよ!!

 私がよく気になってしまうのは、バッキング・ギターのメリハリがけっこうおざなりにされていることです。バッキングは単に楽曲のガイド、伴奏ではありません。そのコード・ワーク一つ一つにも楽曲の流れによって、キチンとメリハリをつけるべきです。っていうか、私はバッキングとソロで特に意識は変えていません。バッキングを弾いている時もやはりそれはその場面における“唯一無二の”音楽表現だと考えて弾いています。う~ん、言っていること判ってもらえるでしょうか!? 何というかギターを弾いている限り、それは常に最善の表現でなければいけないってことでして、たとえバッキングであろうと、そこには「強弱や息継ぎ」のようなニュアンスを伴うのだ!!ってことです。音楽表現という大きな枠として考えた時には、それがバッキングであろうとソロであろうと違いはナイ!!って感じです。

 まあだから……、かえって判りづらくなってしまうかもしれませんが(笑)、イントロのギターを弾き始めた瞬間から曲の最後まで、「ずぅ~っとソロを弾いているのだ!!」ぐらいの気持ちで弾くとイイかもしれません。その瞬間瞬間ではすべて最善の表現を連続していかねばならないのですから、そのぐらいで丁度かもしれませんね。それ故に私はバッキング・ギターのレコーディングで大抵ヘトヘトになります。だって4分間ずっと集中して最善の表現をしなければならないからです。うん、それに較べればソロは時間が短いから楽勝です。鼻歌まじりですか!! でもバッキングにも最善の音楽表現が必要だという意識を持つだけで、楽曲のクオリティがガラッと変わることでしょう。そんな感じです。

(2013/4/14)

Scene11 コードは創るものなんだよ!

 相変わらず観念的なことを書き続けている感じの当コーナーですが、今回はちょっと具体的に感じるかもしれません。

 その昔知人に、

「ギターのコードって一体いくつぐらいあるの? で、そのうちどのぐらい覚えるべきなの?」

 という質問を受けたことがあります。今回はこれでいってみましょう!! 上級者向けというのとはちょっと違う気もしますが……。

 さて、まずギターのコードっていくつぐらいあるのか? 世の中にはギター・コードブックなるモノが売っています。私が知っているモノでは、ギター・コード360!!ってのをその昔、見かけたことがあります。じゃあ、360もあるのか!?で、それを全部覚えた方がイイのか!?

 え~と、まずコードの数なんですが……。何故この私が知っているコードブックが“360個”のコードフォームを載せたのか? 私には知りようがないのですが、コードの数ってのは実はほとんど無限なんです。別に“何個”と決まっているわけではありません。じゃあ無限だってことは、この360個ってのは覚えるべき必要最低限の数なのか?と思われた方がいるかもしれません。

 答えは「全然違います!!」 はっきり言わせてもらうと、覚えているコード・フォームの数なんて10個だろうが200個だろうが、そんなことが問題になることはまずありません。

 もちろん、基本的なローコードのいくつかは覚えておく必要はアルかもしれませんが、ほとんどのコードはローコードの“E系”と“A系”のコードを基本としていて、そのフォームをバレーによって平行移動しているだけです。ですから、“覚えるべき必要最低限のコードの数”ってのが、意外なほど少ないことにすぐ気づくはずです。

 さて、意外なほど少ないことに気づくはずとか言っていますが、先ほどコードの数は無限だとも書きましたね。何かこれって矛盾しているような……。でもね、実はこれって最初の質問が変なんですよ!! コードっていうのは、そもそも何個知っているから“エライ!!”とか“上手い”という性質のモノではないのです。

 実を言うと……、というかこれは私自身の考え方ですが、コードってのは“創る”モノなんじゃないかな? 経験を積んでいくと判ることなんですが、あるメロディに対するギターのコードが“C”だったとしましょう。これはメロディのスケールや構成音からして妥当だったとします。しかしながら、まったく同じメロディであったとしても“Em”や“G”のコードを当てはめても音楽として成立する場合があるのです。こういう場面は多々あります。実はコードは必ずしもメロディに引っ張られるワケではなく、むしろコードの方がメロディを引っ張る場合だってあるのです。

 つまりコードなんて演奏者の意図によって、いかようにも当てはめることが可能なのです。これがコードを創るってことの意味でして、覚えているコードを当てはめるのではなくて、その場面で一番気持ちの良い響きをコードとして鳴らすのです。既に覚えているコードが先ではなくて、響きのよい音を重ねていったら、結果としてこういうコードになりました!!っていう感じでしょうか。ですからコードなんてその場面場面で創っていけばイイのであって、イチイチ何百個も覚えておく必要はナイ!!っていうことです。

 ちなみに、私が普段やっている簡単なコードの創り方ってのを書いておきますね。たとえば、Am7のコードを5フレットのバレーで押さえたとします。すると人によって押さえ方に違いがあるかもしれませんが、左手の指が2本余っていますよね!?その2本を使って、押さえられるところを適当に押さえて鳴らしてみましょう!! いろいろ試してみると、そのうちアナタ好みの素敵な響きが生まれるかもしれません。正式な名前なんか別に知らなくてもイイのです。それが素晴らしい響きであるのなら……。 

(2013/5/12)

Scene12 努力を無にできる勇気

 さて“上達術”も12回目です。技術的に高いレベルでの演奏ということだけを考えれば、単純に技術的な練習に時間を割くことである程度クリアできます。まあ言ってみれば、“タダ演奏するだけなら”つらい練習を黙々とこなしていればそのうちできるようになるということです。しかしながら、当コーナーではそういうことではなく、ちょっとした“目から鱗”というか“腑に落ちる”というようなことを紹介していくのが目的です。ですから観念的になり過ぎてその意味が理解できなかったり、読み違えてしまうこともあるかもしれません。そんな時はメールにて直接質問して下さってもけっこうです。っていうか、むしろ有り難いです。

 今回も非常に判りにくい話になってしまうかもしれません。でも頑張って書いてみます。みなさんがオリジナルの楽曲を制作している時を考えてみて下さい。あっ!?別にオリジナルではなくてもイイです。カバー曲で自分なりにギター・パートを創らなければならないという場合でもOKです。誰もがカッコイイギターを弾きたいと思っているはずです。そしてこれは「コピー」ではありませんから、ギター・パートに手本というモノはなく、自分で一から創るという前提で話を進めましょう。

 アナタのオリジナル・プレイが要求されるのですから、自分好みであったり自分が得意なプレイを全面に押し出すことでしょう。それは当然と言えます。さて、ひととおりバッキングやらソロをレコーディングしていったとします。そこでギタリストとしての強力なエゴが出てきてしまって、「もっとオブリガートを入れる」とか「ソロをハモってみる」とか「バッキングを別のサウンドで付け足してみる」等々やりたくなることが次々と出てきてしまうことがあります。

 音を付け足すということは……、その分だけ新規のアイデアを創り出したことになります。つまり自分的には「より頑張った!!」感じになりますね。ですから客観視が甘いと、音をどんどん付け足していったアレンジの方が「より良い」モノだと考えがちになります。そりゃそうでしょ!?だって俺はさらに頑張ったのだから……。

 しかしながらここが盲点なのです。ちょっとここで考えて下さい。あるアレンジにさらに音を足したから、労力を使ったからといって本当に以前よりベターなモノになっているのでしょうか!? 実は散々考えた末に、「何も足さない!!」という選択肢も、全く同じ次元というか重要度で存在しているのです。勘違いしないで欲しいのですが、「何も足さない!!」ということは何も考えないとか、一切の努力をしていないということとは違います。

 人間は「努力が結局ムダになる」というのはイヤなものです。誰でもそうです。ですから後から音を付け足していくと、「せっかく頑張ったのだから」とか考えがちです。で、結果としてオーバー・アレンジというかオーバー・プロデュースの作品が出来上がってしまうことがあります。

 私が言いたいのは、ムダに音を付け足さない方が良い!ということではありません。全然違います。むしろアイデアが次々に出てくるのであればとことんやった方がイイのです。ただし、音を付け足した方のアレンジは、労力をさらに使ったからといって、それ以前のアレンジに対して決して有利な状況にあるわけではナイということです。基本になるべき最初のアレンジと音を足したアレンジでは、その労力に差はあるけれども結局は常に「等価」であるのです。それどころか、基本のアレンジからさらに音を減らしてしまったモノがあったとしたら、それさえも「等価」なのです。

 つまり、アイデアをいくらでも足していっても良いけれど、常にそれらの努力を“無に”できるだけの勇気を持っていて欲しいと言うことです。とことんやり過ぎた末の“戻って来る勇気”というのも大切なのです。

(2013/6/9)

Scene13 志は高い方が良くね!?

 今回のギター上達術は、ちょっと“番外編”って感じでお送りいたします。

 単純にギタリストというよりは、もっと幅広い意味でのクリエイターという立場からの話にしたいと思います。まあね、ギターを弾くことってのは、オリジナルはもちろんのこと、コピーであったとしても結局は何かを創り上げることと同じでして、そういう意味では役に立つこともあるかなぁ~!?とか思いましてね。

 今回は、私が作曲する時にはどういう気持ちで臨んでいるのか? という話を書きたいのです。最初に断っておきますが……、ちょっと大がかりな話になっちゃうんですよ。

 普通の人ってある曲を創っている時に、「これは元気の出る曲!」とか「哀しい時に聴いて欲しい!!」とか、リスナーが聴く時の状況をある程度想定していると思うのです。アーティストさんもインタビューでそういうことを言っていたりしますね。

 でもね、実は私、そういうのが無いんです。私はたとえばバラードを作曲する時に、「これは失恋して哀しい時に聴いて欲しい!!」 というような特定の状況を想定してはいないのです。これまでそうしてきませんでしたし、多分今後もやらないだろうなぁ~と思っています。

 じゃあ、どんな感じなのよ? 実を言うと私は、バラードだろうとハード・ロックだろうと考え方は常に一つなのです。私がいつも目指しているのは、

「どんな精神状態であろうとも、リスナーにとってプラスに作用する楽曲」

なんです。これってどういうことなのか? 哀しい時に人はどんな曲が聴きたいでしょうか? 実はそれぞれだと思うんです。この哀しみにいっそのことド~ンと沈み込んでやれ!!という人もいれば、哀しいことはとにかく忘れて、より楽しい気持ち、明るい気持ちに気分を変えたい!!って人もいることでしょう。ですから、創り手側の私がヘタに、「この曲は哀しい時に聴いて欲しい!!」などと考えて楽曲を創ってしまいますと、非常に限定されたリスナーに向けたモノになってしまう可能性があります。制作者鈴木としては、できるだけ多くの人々に聴いて欲しいワケで、自らの手でクビを絞めるようなことはしたくありません。

 ですから……、私の目標は、とんだ大風呂敷だと思われるかもしれませんが、前述した、「どんな精神状態であろうとも、リスナーにとってプラスに作用する楽曲」なんです。そんなの無理に決まってるじゃん!?って言う人もきっといるでしょう。でも志は高い方が良くね!? っていうか、それぐらいで丁度じゃないでしょうか。

 私の楽曲は、聴く人全ての精神状態によりよく作用することが目標です。より沈み込みたい時にはそうなるし、反対に気分を明るく変えたい時にもそれはそれ。リスナーの気持ちにかかわらず常に巧く作用する楽曲。そういうのを目指しているんですね。これが誰かの参考になるのか判りませんが、こういう考え方ってのもあるんだよ!!ってことを伝えたかったのですよ。

(2013/7/14)

Scene14 ただのギターが音楽に

 プレミアリーグを観ているといつもイラつくことがあります。ハーフタイムに前半のハイライトをやりますが、その映像の後、両チームのスタッツが表示されます。その時に流れているBGMがギターのインストなんですけど、そのギターが下手すぎ!! もう音が全然立っていないのはもちろんのこと、そもそも弾こうとしているフレーズに対してまったくテクニックが追いついていないし……、もちろんフレーズにテクニックが追いついていなくても“良い演奏”というのは有り得るのですが、そういう問題ではなくてニュアンスもへったくれもなくて、聴いていると気が狂いそうになります。試合後に流れる曲がこれまた、ハーフタイム時の曲以上にひどいありさまで……。なんかもう、全然音楽を判ってないな!!

 ってなワケで、今回言及するのは非常に難しい話です。私の文章力で果たして伝え切ることができるのかどうか?微妙です。ですが、やるだけやってみます。

 当ホームページの読者様で、前述した曲を知っている人がどれぐらいいるかは判りません。それはさておき、実は技術レベルは充分であっても、何にも感じない演奏を耳にすることがあります。こう言っては何ですが、私なんかよりも遙かにギターの演奏技術が高いと思われる人の演奏でも頻繁に耳にします。高い演奏技術というのは音楽においては決して無視できない要素ですが、それだけで人の心に届くのでしょうか!?

 そこで技術はあっても心に響かない演奏というはどういう場合か?ってのを考えてみました。さて、みなさんは歌を歌う時には息継ぎをしますね。そうしないと死んでしまいます。歌を歌ったり、管楽器の演奏では息継ぎは不可欠ですが、鍵盤楽器や弦楽器や打楽器は、演奏上の技術としての息継ぎはありません。

 さて、ここにギター・ソロの楽譜があるとします。ギターで弾く上では演奏者の呼吸は無視することもできます。しかし同じ楽譜を歌として歌ったり、サックスで吹くとしたらどうでしょう!? 当然、どこかで息継ぎをしなければなりません。そして息継ぎの場所は決して“何処でもイイ”ワケではなく、よりよい音楽の表現を考慮した上で自ずと決まってきます。

 ここがポイントだと思うんです。呼吸なんですよ。呼吸をしないと死んでしまいます。きっと技術があっても良くない演奏ってのは呼吸が無いんですよ! だから演奏も死んでしまうのです。ギターの演奏であっても、それを歌った時と同じように息継ぎが(呼吸)があってしかるべきなんです。ですからギターを弾く時でも常にアタマの中では「歌を歌っている」とイメージすべきなんです。そうすれば自然とより豊かなニュアンスがギターにも滲み出てくると思います。

 呼吸を意識することで、単にギターという楽器を使った演奏でしかなかったモノが、“音楽としての演奏”にステップアップするんじゃないかな!?私はそう考えています。

(2013/9/22)

Scene15 テクニックはどんなに高度でも“手段”でしかないから

 そろそろ何か新企画を考えないと、とてもじゃないですがネタが尽きてしまいますね。私としても当ホームページやブログを始めた当初は、一体どうなるのか!?さっぱり判っていなかったのですが、せめてブログの更新は週に1回ってことにしておけば良かったかも!?とか思う今日この頃です(笑)。え~と、ご存知の方も多いとは思いますが、当ホームページのコーナーのひとつである“言いたいかも”はブログへのリンクとなっています。こちらの方にもギターの上達に役立つ情報が満載ですので、どうぞこちらも併せて参照して下さい。

 今回はテクニックと表現の関係について考えてみたいと思います。

 ギターのというか楽器の演奏の上手いヘタを決める要素のひとつとして、テクニックはもちろん重要な要素です。素晴らしいテクニックは素晴らしい演奏をするためには、ほとんど不可欠と言えます。ただし、このところを勘違いしている人をタマに見かけます。

 音楽の最終目的は何でしょうか?
 う~ん、実は厳密に言うと“演奏者それぞれで違う”という話になりかねませんが、まあここは極々普通に単純に考えて、

「その音楽によって自分の表現したいことを他人に伝えること!!」

ということにしておきます。うん、やっぱそれだろっ!!
 さて、つまり結局のところ、その音楽で何が表現されるか?ということが重要なんです。そしてその表現されているものが、他人の心に響くものであるということが最終目標だと思われます。

 つまり、最終的な目的はあくまで“いかに素晴らしい音楽表現をするか?”ということです。そして、テクニックというのはその素晴らしい表現をするための“手段”なのです。最初に書いた、「素晴らしいテクニックは素晴らしい演奏をするためには不可欠だけど、そこを勘違いしている人がいる」というのはこの部分なのです。つまり、テクニックは本来、音楽表現の“手段”でしかないはずなのに、そちらが最終目的になってしまっている人がいるよねぇ~!って話なのです。

 もちろん、そのテクニックだけで人々が十二分に感心してしまう演奏もあります。もうホント、私も腰を抜かしてしまうほどのテクニックって人が世間にはいます。でも、そのテクニックがホントにその時のベストな音楽表現の“手段”として使われているのでしょうか!? 実はそのテクニックを披露することが最終目的になってないか!?

 まあね、お前はテクニックが大したことないから、ひがんでいるだけだろっ!?とか思ってくれてもけっこうです。ただ、それほどまでに高度なテクニックを持っているのだからこそ、目的としてではなくて表現の適切な“手段として”使うことができれば、もっと素晴らしいだろうにとか思います。最終的な目標はいつでも「素晴らしい音楽表現」であって、テクニック自体が表現そのものではナイのですよ。そこを勘違いしないように!!ってことが言いたいワケです。

(2013/10/6)

Scene16 あえて目隠しするのも

 最近の情報伝達の量とスピードには驚くばかりです。
 昔はギター・テクニックの情報は少ない上に、ガセネタも混じっていたというのに(笑)。 現在では「アレは一体どうやっているのだ?」とか思ったら、インターネットで検索するとかなりの確率でその奏法説明を動画付きで知ることができたりします。これはギターを練習する上では非常に便利であります。

 そんな現在の状況を、弦高バカ高ギタリスト鈴木は羨ましいとも思います。でもね、「ちょっと待って!」という感じがナイではありません。これはギターの練習法や奏法に限った話ではありませんが、判らないことは何でもかんでもネットで検索するという風潮ってどうなのよ?という気はします。つまり、まず「考える」というアクションをすっ飛ばす人達が確実に増えたような感じがします。これでは発想力というか想像力がどんどん貧困になっていくのではないか?

「聴いただけではどうやって弾いているのか判らない!」

 こんな時、私がギターを始めた頃は基本的に自分で考えることがメインでした。だって現在のように情報は無かったからさ。でも、この考えるってのは決して時間のムダというワケでないんですよ!とかジジイが言ってみます。

 ギターって他の楽器とは違って、一つのフレーズを弾く方法が何通りかあるのはご存知でしょう!? けっこうこれってスゴイことだと思いません。ピアノだったらどうやってもひと通りの弾き方しかありません。(ニュアンスとかは別よ)

 何が言いたいかというと……、あるギタリストのプレイを聴いてそれをマネ(コピー)したくなるとします。そこでネットで検索してそのギタリストが実際に弾いている動画を見つけたり、若しくは本人でなくともそのプレイについて解説してくれているコンテンツを見つけたとしたら……。きっとアナタはそれとまったく同じようにプレイしようとするでしょうね。

 それがイケナイというワケではありません。誰だって苦労はしたくありませんから、その方法をなぞってできるのなら、それで良しとするでしょう。

 でもさぁ~、最初に言ったようにギターは一つのフレーズを弾く方法が限定されない数少ない楽器なんです。その、言ってみれば“ギターの可能性”を自ら逃すのはもったいないと思いません?

 他人の情報にまったく頼らずに、自分なりに考えてみたら、実はそのオリジナルのやり方よりももっとベターな奏法を発見することだってあるかもしれないのです。もちろん、そのオリジナルの奏法に結局のところ辿り着く可能性の方が高いでしょうが、それにしても自分で考えてその奏法を探り当てた方が、きっと達成感も習熟度も大きなモノになることでしょう!!

 もちろん、いつまで経っても弾き方が判らなくてストレスが溜まる一方!!ってことでは困りますから、絶対にそういう他人の情報に頼るなということじゃありません。とりあえず一度は自分で考えてみることが大切だよと言いたいのです。自分で考えることで発想が拡がっていくということを経験して下さいね!そんな感じなのです。

(2013/11/10)

Scene17 継続は力?

 楽器でもスポーツでもよく言われることは、「日々コンスタントに継続性を持ってトレーニングすること!!」
 これは大事です。当ホームページや“言いたいかも”ブログで、私も何度か言及しています。じゃあ今回は、その重要性についてまたクドクドと書くのか?と思われたでしょうが、実はそこにあえて疑問を投じてみましょうという魂胆です。イヤ、もちろん継続的なトレーニングが実は間違いだった!?という話ではありませんよ(笑)。

 さて、毎日コンスタントに練習を続けるということは、かなり大変なことです。ですから、それができている人はそれなりの達成感を感じることでしょう。もちろん、悪いことではないです。しかしここで、ちょっと意地悪な考え方をしてみましょう。

「毎日コンスタントに練習をできているとして、じゃあそれが本当に上達に繋がっていますか?」

 今、「あっ!?」と思った人はいませんか? 「それってお前(鈴木)自身のことじゃねぇ!?」ですって? ほっといて下さい(笑)。
 つまり、コンスタントに継続して練習できているということだけに満足して、その内容や成果についてもキチンと把握できていますか?ってことですけどね。

 要は、自分の練習ルーティーンが本当に自分の上達にとって糧になっているかどうか? これを真剣に考えることが必要だってことです。毎日黙々とやっていることが、必ずしも上達に繋がっているとは限らないのです。大切なのはその練習をすることによって、本当に目標に向かっているのか?ということです。

 じゃあそれを知るにはどうしたらイイか? 1週間前の自分と今日の自分の上達度合いを認識していますか? きっとこれが1か月前とか半年前とか、けっこう過去の話なら判るとは思うんですよ。だってその間、継続的に練習してきましたものね。「半年前に較べて随分上手くなった!」というのは実感しやすいかもしれません。

 でもきっと、直近の状態についての認識は甘いかもしれません。もちろん、ある程度まで上達しますと、伸びしろ自体が少なくなってきますから、上達を実感することも難しくなってきます。ですから、実際に上達しているかについての検証が、徐々に疎かになってきます。その結果、いつの間にか単に「継続的に練習する」だけというか、それ自体が目的のようになってきていませんかね?

 結局、毎日練習していてもそれが進歩に繋がっていなければ意味がありません。
 実を言うと、根気があってルーティーンをこなすことができる人ほど、自分でも気づかないうちに「ルーティーンをこなすことが目的になってしまっている!」場合があるような気がするのです。

 一度じっくり考えてみて下さい。この練習で自分がホントに成長しているのかどうか?毎日の練習がキチンとテクニックとしての“上積み”になっているのかどうか?を。そしてさらに、この練習で今後も上積みを続けることができるのだろうか?を。

 その上達度合いによって、その時にすべき練習というのは少しずつ変わっていきます。この辺のアジャストがある程度は必要になってきます。ただ闇雲に練習してそれ自体が目的にならないように、自分の上達度合いを正確に認識することも非常に大切なのです。続けるということはそれ自体素晴らしいことですが、決してそれ自体が目的ではありません。続けている意味を考えることが大切なのです。

(2013/12/15)

Scene18 コピーはコピーでしかない

 初心者がギターを始めるにあたっては、自分の好きな“弾いてみたい”曲のコピーから始める方が多いと思います。たとえ最初は上手くいかないとしても、その興味は持続しそうですしね。

“ギターを弾きたければまずコピーから始めると良い!”

 これはよく言われていることです。私はこれに異を唱えようとは思っていません。始め方としてはそれでイイと思っています。ギターを弾く上での目標は人によって違います。たとえば、「とにかく人前でそれなりに演奏したい!!」というのが目標であれば、自分が弾いてみたい曲、自分が弾けそうだと思われる曲をひたすらコピーする。これでもイイのかもしれません。

 問題はある程度ギターのことが判ってきて、それなりに弾けるようになってからです。ここで次なるステップとしてどうするべきでしょうか?

 多くの人は、これまでコピーしてきた曲よりも“もっと難易度の高いと思われる曲”のコピーにチャレンジするのではないでしょうか。

 もちろん、コピーであっても技術は向上します。これまでに自分が弾いたことのないテクニックが出てきますから、全体的に自分の技術は確実に向上していきます。
 たとえばAという曲を努力の末に弾けるようになったとしましょう。最初は弾けなかったフレーズもたくさんあったけれど、テンポを落としてゆっくり弾いたりしながら、確実に両手に覚えさせて弾けるようになりました。“最初は弾けなかったフレーズ”が弾けるようになったのですから技術は向上したはずです。

 さて、ここにBというAと難易度が同じぐらいの別の曲があります。Aが弾けるようになったあなたは、Bをすぐ弾けるでしょうか? 結局またAをマスターした時と同じ手順を踏むことになってしまいませんか?

 Aが弾ける技術を持っているのであれば、Bもすぐに弾けなければおかしいはずです。が、コピーで得た技術は、結局その曲にしか通用しなかったりするんです。何故ならその技術は絶対的な基準を持ったモノではナイからです。Aという楽曲を弾くといった、非常に限定された場面における技術でしかないんですよ。

 サッカーで考えてみましょう。リフティングがとても上手な人がいるとします。しかし彼はリフティングが上手なだけであって、普段からリフティングしかしていません。彼がリフティングをしているところだけを見ると、“この人はとてもサッカーが上手なんだろう?”と思ってしまいます。でも実際にその技術はサッカーの試合で発揮できるものではありません。もしその技術を発揮したければ、単純なボールを扱う技術だけではなく、持久力であったり、瞬間的なダッシュ力であったり、当たりに負けない強い体幹を持っていないとなりません。

 リフティングだけが上手くても、試合のプレッシャーの中ではヘタすればボールに触ることすらできないでしょう。私はコピーによって得た技術とはこの彼のリフティング技術のようなものだと考えているのです。非常に限定された、つまり極端に言えばそのコピーした曲を弾くためだけの技術とでも言いましょうか。コピーだけでも確かに技術は上がっていくでしょうが、本来的なギターの上達とはちょっと違ってきていると思うのです。

 つまり私はコピーでは表層的な技術しか得られないと思っています。ですから絶対的な基準を持った技術を得るべく基礎練習をお奨めするんです。ホントにギターが上達したかったら、基礎練習をやるしかないんですよ!!

 基礎練習で得た技術でAが弾けたのなら、実はBも簡単に弾けるんですよ。それどころか、未だに聴いたことのないCという曲だって(笑)、すぐに弾けるようになります、っていうか、弾けるんですよ!!基礎練習をやっていると潜在的に弾ける曲が無限に在ったりするんですよ。

 結局基礎練習を奨めるのね!?辛いことを奨めるのね!?と思われるかもしれませんが、今回の本当の目的は、「コピーによる限界」を知って欲しかったのです。コピーなんかやっても仕方ないと言いたいのではなくて、ホントに上達したかったら、コピーだけやってもダメですよ!!と言いたかったのです。

 だってこれは“ギター上達術”であって、ギターが恒常的に上達していくことを目標としていますから!!

(2014/1/21)

Scene19 技術じゃなくて感性なんだよ

 まったく上手く言えるようになりませんが“ギター上達術”も今回で19回目となります。具体的な技術と言うよりは、むしろ精神的なアプローチを書くという試みが果たして成功しているかどうか?なかなか確信が持てないでいますが、どうやらコンスタントにアクセスがあるようですので、一応成功しているということにして(笑)、進めていきたいと思います。まあ開き直ってしまいますと、このコーナーに“ピンと来る”人は少ないかもしれないけど、きっといる!!そういう人達のためになればイイや!!という感じで書いております。そう、書き手自身も“万人向け”だとは思ってないんですよ。でもピンとくる人達はきっとライバル達を出し抜けるかもね!?

 さて、今回は非常に難しい話です。

 ヴィブラートについての話です。

 私は当ホームページにおいで下さる方々ならご存知のように、“鈴木浩憲の言いたいかも”というブログもやっております。で、ブログをやっておりますと当然他のブロガーさんのブログを見に行くことがあります。そしてもちろん私のところに来てくれるブロガーさんは当然(?)ギターをやっている方が多いです。プロ・アマ問わずけっこうおりまして、プロの方の演奏動画などを観て、「うわっ、こんなの全然私には弾けないわ!!」とか思ったりしながら、実はひっそりと参考にするなどということをしています(笑)。

 もちろん趣味でやっている方々も、しばしば御自身の演奏動画をアップされています。大抵の場合、それらもチェックしている鈴木です。そうしてそういう方々の演奏でいつも気になるのがヴィブラートなんです。

 鈴木は昔から“ヴィブラート”をよく人に褒められてきました。実は自分でヴィブラートを一生懸命練習した覚えは無いのですが、いつの間にかそういうことになっていました。もっとも私はブログや当ホームページのどこかでも書いたと思いますが、ヴィブラート自体をテクニックだとは意識していないのです。ヴィブラートというのは技術ではなく、感性の一部だと思っています。

 ではアマチュアの方々のヴィブラートがどういう風に気になるのか?

 上手でないと感じる演奏は、大抵ヴィブラートがロングトーンの時に“しか”かかっていないのです。えっ!?そんなの当たり前じゃん!?とか思う人もけっこう多いかもしれませんね。

 もう少し、具体的に説明してみますね。私がこれではダメだな!と思う演奏というのは、たとえば16分音符や8分音符などの速めのフレーズを弾いてきて、最後にロングトーンになった時、そこでヴィブラートのスイッチが“オン”というように、非常に技術的なニュアンスでヴィブラートがかけられる演奏なんです。言ってること判るかなぁ~?

 速弾きの時やカッティングの時に、それぞれがやりやすいようにピッキング・フォームを替えるというのは技術の範囲内です。技術的な切り替えは演奏上必要です。これは仕方ないことです。しかしながら、ヴィブラートはこういった技術的な要素ではないんですよ!! こっそりと教えちゃいますが(笑)。「ここでヴィブラートをかける」と意識してオン/オフを切り替えるのではなく、ヴィブラートは常にいつでもかけられる状態にあって、それがコードであっても8分音符であっても感性の赴くままにかけられるようじゃなきゃダメなんじゃないかな?

 つまりヴィブラートってのは“速弾きの時はピックの持ち方を変える”というような意識下のレベルでは無くて、もう必要な時には勝手にかかっているようなレベルでなくてはならないんです。だから技術ではなくて感性の一部だと言ってるんですけどね。だって、感性はいつだって“オン”でしょう!?

 鈴木ができているかどうか?はこの際どうでもイイですから(笑)、っていうか、達人の演奏を注意してよく見ると、ロングトーン以外でも絶妙なヴィブラートがかかっているところがよくありますよ!! それどころか逆にロングトーンであってもやらないくて良い場合はやってない。それはヴィブラートが感性から来ているからなんですよ!!

 そうは言ってもヴィブラートにも技術的な話だってあるだろ!?って人もいるでしょうね。うん、そりゃそうだ(笑)。ただ、今回ここで言いたかったことは、ヴィブラートは身体(技術)じゃなくて心(感性)でコントロールするモノなんですよ!!ということなんですよ!!

(2014/2/16)

Scene20 “信号”じゃなくて“音楽”よ!

 先日、とある方のブログを見ておりました。その方はあるロックの名曲をコピー中らしく、その曲の上手くできない箇所のタブ譜付き楽譜を記事中に載せておりました。  鈴木は当然その曲を知っておりました。で、“どこの部分かなぁ~!”という具合にそのタブ譜を目で追ってみました。ウンウン、ああ、その部分ね。ここはけっこう難しいよね!?とか思ったんですが、同時に、
「う~ん、自分はこのタブ譜のポジションでは弾かないよなぁ~!?」
とも思いました。

 ご存知のように、ギターは同じ音を出すのに複数のポジションがあります。
 たとえば、1弦開放の音Eは、2弦5フレット、3弦9フレット、4弦14フレットでも同じEの音が出せます。これは弦楽器の特徴でもあります。鍵盤楽器や管楽器ですと基本的に一つの音に対して、その音が出せるポジションというのは限定されます。えっ!?金管楽器だと二通りのやり方で出る音もあるだろうって!? まあそうですが、ワザワザそれを使い分けたりはしませんよね。

 ギターはそれが非常に柔軟にできます。一つのフレーズを弾くのに、指使いや弦使いを換えることで何通りかの方法が可能です。今回はそれについて考えてみたいのです。

 件のフレーズは3連符の分散和音をオルタネイトでフルピッキングする!というものでした。具体的に書きますと最初の分散和音はG、B、D。で、それに対応するタブ譜は順に5弦10フレット、4弦9フレット、4弦12フレット。それをオルタネイト・ピッキングで!というものです。

 これは多分、ポジション的、そしてテクニック的には最も一般的だと思われます。
 でも鈴木はそう弾かないだろうな。きっと最後のDの音は3弦7フレットで弾くだろうな。えっ!?そうすると2本の弦で弾いていたのが、3本にまたがる弦飛びになって難しくなっちゃうだろ!?ってか。

 う~ん、まあそうかもしれませんね。オルタネイトが苦手だとより難しく感じるかな。でも、テンポ的にも“バカッ速”ではありませんし、キチンとオルタネイトができる人なら、ことさらどちらが難しいというほど差は無いと思います。

 どちらもテクニック的に変わらないとして、じゃあどうして鈴木はそのポジションで弾くのか? ここが一番肝心な問題なんです。どうしてか? これは音楽だから!かな。

 ぶっちゃけて言いますと、ギターは弦を弾くと誰にでも音が出せます。
 でもただ弾いただけでは、それは信号でしか無くて“音楽”ではありません。
 鈴木は何故3本の弦飛びで弾くのか? 別にテクニックを誇示したいのではありません。その方がより“音楽的”だと思うからです。

 つまり、2本の弦で弾いた場合、どうしたって物理的に2番目の音は次の音を弾くことによって消えてしまいます。だって同じ弦で同時に二つの音は出ないもんね。この2番目の音が完全に消えてしまう(というか必然的に消されてしまう)ことは、ニュアンスとして2番目の音の響きを残した方が良いと思っても不可能です。更に3本の弦をまたがってピッキングすることで生まれるドライヴ感というのも、ちょっと見逃せないかな?

 そういうワケで、個人的な感覚なのかもしれませんが、この部分は2本の弦で弾くよりも、3本の弦で弾く方がより音楽的な表現ができるだろうと鈴木は考えるのです。

 ギターのフレーズを弾く時に複数のポジションが考えられる場合は多々あります。
 もちろん一般的に出回っているタブ譜は、常識的に考えた上で効率良く弾けるポジションになっているのが普通でしょう。でも、ギターのポジションは何通りかあるワケで、その中に実はタブ譜とは違う“より音楽的な表現ができるポジション”があるかもしれません。そういうことを普段から考える習慣をつけることで、アナタのギターから出る音が、ただの“信号”から“音楽”に変わることでしょう。う~ん、今回も観念的で判りづらいよな(笑)。要するに何でも感でも最も弾きやすいポジションが正解じゃないだろう!?って話です。だって人の心に届けるのですから……。

(2014/5/11)

Scene21 それはもうその曲では無いから

 さて、ギター上達術です。久しぶりの更新という気がします。
 このコーナーは“恒常的なギター上達”を目指していますから、いつもとてもプレッシャーがかかりますね。で、今回はずぅ~っと考えていたことについて書いてみます。一応以前書いたScene18「コピーはコピーでしかない」に関連しています。

 一般的に言われている練習法の中で、鈴木自身が生涯で一度もやったことの無い、そして今後も多分やる予定の無い練習法が有るんです。それはコピーをする時の練習法の話なんですが……。

 ある曲をコピーしていて、弾けないフレーズが出てきたらどうするか?
 みなさん、どうしますか? そして、この場合よく耳にするのが、

「先ず自分が弾けるテンポまでその曲のテンポを落とす。そしてその弾けるテンポを徐々に上げて行って、最終的にその曲本来のテンポで弾けることを目指す!」

 こんな感じでしょうか。このような意見をウェブ上で見かけたり、実際にそうやって練習している人も沢山いると思います。イヤ、別にこれが“間違い”だとは言いません。その人の目的が、
“とりあえず何が何でもこの曲をコピーしたい!!”
というのであれば、それでイイと思います。

 鈴木がこのアプローチを採らない理由はいくつか有るのですが、先ずそれをしない最大の理由を書いておきましょう。それは、

「テンポを落とす? テンポを落としてしまったら、もはやその曲では無くなっている!」

からです。イヤね、コピーしたいと思うほどの曲なんだから、きっとそれは“カッコイイ”曲のハズです。しかしながら、その曲が“カッコイイ”のはその曲本来のテンポだからカッコイイのです。テンポを落として“全然カッコ良くない”状態で弾いても、楽しくはないよね?

 更にこれは完全に鈴木個人の感覚ですが、テンポを落として弾くことは、その曲に対しての冒涜………、う~ん、これはちょっと言い過ぎか? でもそれに近い感覚。何と言うか自分の美意識的にちょっと許せない感じなんです。だって、アップテンポのハード・ドライヴィングな曲を3分の2とかのテンポで弾いても哀しくなるだけじゃん!?

 じゃあアナタは弾けないフレーズが出てきた時どうしていたの?という疑問が出てきますよね? これは“何だよ、結局それかよ!?”という展開になってしまいますが、その曲を演奏できるだけの基礎力がつくように基礎練習をしていました。
 単純に考えて、その曲のテンポで同じ譜割のスケールなどの基礎がこなせるようになれば、弾けるはずです。そして逆に考えれば、同じテンポで同じ譜割のスケールが弾けないのであれば、ゆっくりから始めて徐々にテンポを上げていっても、そのテンポまで上げられるようにはなりませんよね?きっと。

 鈴木からすれば、テンポを落として弾くのは既に充分楽しくない。ですからどうせ楽しくないのであれば基礎練習でもイイのです。それどころか、基礎練習だったら、同時に同じ難易度レベルの曲も潜在的に弾けるようになるしさ!

 ぶっちゃけて言ってしまいますと、実は……、う~ん、これから書くことはちょっと勇気が要るな(笑)。プロギタリストやギター講師の方々だって、
「ゆっくりから始めて徐々にテンポを上げて行く!」
と書いてはいますが、それが本当に正しいとは思ってないと思うぞ!
 というより、ホントにそういう上級レベルの人はそんな練習はしていないだろ!?
 と思っております。

 これは“上達術”ですから、最終的に基礎練習をお奨めしてしまうのはお許し願いたい。判りきったことかもしれませんね。でも実は今回一番言いたかったことは、“テンポを落としたら、それはもうその曲では無い”という感覚を判って欲しいな!ということだったりします。つまり余りにも“音楽的”では無い感じなんですよ。これに“ピン!”と来た人はかなりセンスが良いと思っています。

(2014/7/20)

Scene22 楽しみは取っておく?

 上達術の更新は久しぶりです。このコーナーはいつも概念的になりがちで、理解するのが難しいのでは?と自分でも思っています。とはいえ、全員ではなくとも、必ずこの気持ちが誰かに届いていることを信じながら書いております。

 先日、付き合いの長い友人に、
「お前がギターを練習するのをこれまで何度も見てきたが、バッキングっていうかカッティングの練習をするのを見たことが無い気がするのだが? バッキングの練習ってやらないのか?」
と訊かれました。私はギターを弾く時は8割方が基礎練習なんですが、そのほとんどが単音でのスケールです。

 バッキング(コード・カッティング)がまったくゼロというワケではありませんが、メトロノームに合わせてコード・カッティングの練習はしません。少なくとも基礎練習のルーティーンには取り込まれていませんね。何故しないのか? そう言われてみて、自分がどうしてコード・カッティングの練習をやらなくなったのかを考えてみました。実を言うと、まだ10代の頃には練習していた記憶も有ります。でもそのうちにやらなくなりましたわ!

 別に「コード・カッティングは簡単だから!」とか考えているのではありません。楽曲全体から考えると、コード・カッティングの割合はソロに比べれば非常に大きく、楽曲全体の格好良さを決める重要な要素にもなります。ですから決して軽視してはおりません。ですが私なりの考えはもちろん有って、それを今回説明してみることにしました。果たしてこれが他人の参考になるかどうかは、ちょっと怪しいのですが……。

 ギターって、コードをガァ~ッと弾くと気持ち良いですよね?
 うん、難しい顔をして難解な指使いのソロを弾くよりも(笑)、ずっと楽しいと思います。っていうか、私はギターのコード弾きで魂が解放されるのを感じ取ったりします。みなさんはどうですか?

 ギターを弾き続けることは楽しみでもある反面、その難しさからストレスも相当に溜まっていきます。実は私、コード・カッティングでこのストレスを解放しているようなのです。“ようなのです”って自分のことだろ?という感じですが、どうやら長年のギター・ライフで私のギターに対するアプローチはこうなったのです。

 つまり、私にとってギターのコード・カッティングは魂を解放する機会なんですね。こっそり教えちゃいますが(笑)。
 ですから、魂を解放する練習はしねえだろ?そんなことは練習なんてしたら、かえって出来なくなるだろ?とかそういう感じなのです。このニュアンス通じますか?

 つまり私の場合、日々の辛い単音基礎練習が、実は充分カッティングの練習にもなっている感じなんです。

 ちなみに、その友人に私は訊き返しました。
「じゃあ俺のバッキングはソロに比べて不満に思うのか? 練習不足を感じるのか?」
 友人曰く「そうは思わないから不思議に思ったんだよ! 練習するの見たことないのに!」

 私のコード・カッティング練習法はこんな感じです。それって練習法と言えるのか? でも今のところ、この“魂を解放する”やり方で巧くいっている気がします。まあ、練習法は決して物理的なモノだけでは無いということですね。何を言っているのかサッパリだったかもしれません。でもきっと判ってくれる人もいるような……。

(2015/2/22)

Scene23 正しいフォームについて考えてみる

 先日ブログで“良い音=正しいフォーム”という記事を書きました。  今回はホームページ向けにそれの詳細版を書きたいと思います。

 さて、“正しいフォーム”なんてそれは初心者向けじゃないのか?と思われるかもしれませんね。でもまあ、ここはちょっと考えてみましょうよ。ギターを弾くすべての人に考えて欲しいのです。

 ピッキング・フォームについて考える時、果たして正しいフォームとはどういったモノでしょうか? よく言われるのは、力まずに楽に弾けるフォームが良いということです。これは決して間違いではありません。力んでしまっては直ぐに右手が疲れてしまって弾き続けることが出来なくなります。

 そこで、仮に疲れない(楽に弾ける)フォームというのを発見(習得)したとしましょう。よぉ~し、これだぜ!!と盛り上がるかもしれませんね。でも果たしてそのフォームで、そのギターにとって最高の音が出ているのでしょうか?

 ここでちょっとギター以外の例を挙げてみます。友人にバレエをやっている人がいます。ちなみにその人はプロのダンサーではありません。しかしながら出来る限り上達したいと思っていると考えて下さい。

 その友人に因れば、バレエの基本の技一つ一つにはキチンとした正しいやり方が確立されているそうです。しかしながら回転や跳躍などにおいて、個々人の癖によっては正しくないやり方の方が上手くやれたりすることもあるそうです。つまり一つの技を単発でならという意味ですが……。とはいえ、その場しのぎでそうしたやり方でやってしまうと、演技全体では一つ一つの技が連続していくので、必ずどこかで歪みが出てきてしまうのだそうです。仮に回転だけは自己流の方が上手くできるとしても、その自己流のやり方が他の技に悪い影響を及ぼしてしまうのです。だから結局は多少やりづらいと感じても“正しいやり方”を習得しないと、最終的な上達は見込めないのだそうです。

 つまり私が言いたいのは、“自分にとって弾きやすいピッキング・フォーム”というのが、実はこのバレエの話における自己流のその場しのぎである可能性はナイか?考えてみようということです。う~ん、ちょっと判りづらいかな?

 ギターというのはただ弾けば良い音が出るワケではありません。最高の音が出る弾き方というのが有るのです。力まずに弾けるフォームというのは、なるほどそれは非常に理に適っている気がします。しかしながら、今回私が言いたいことは、右手のポジションを考えるよりも先に、どのように弾いたら良い音が出るのか考えてみるのはどうよ?ということなんです。

 力の入れ方、ピックの角度などいろいろ試してみると、アナタにとって最も良い音が出せるピッキングの仕方が判ってきます。そしてそのやり方が見つかってから、そのピッキングを維持できる右手の位置(フォーム)を考えてみるのはどうでしょう? ひょっとしたら、その最高の音を出すには、右手のフォームが最初は楽ではないかもしれません。でも良い音こそが正しいフォームだと考えれば、それに慣れるまで続ける価値はあるでしょ? つまり先ほどのバレエの話のようなモノです。多少辛くてもそれが正しいのであれば、最終的な上達のことを考えればそちらが正義ですね。今が楽だとしてもそれに意味はナイです。

 ギターはピックで弦を弾けば(はじけば)誰にでも音が出せます。しかしながら良い音を出すのは決して簡単ではありません。簡単ではないけど、良い音を出すことの方が、弾きやすさよりも優先されるべきですよね。だって音楽なんですから……。その良い音を出すための、ちょっとした発想の転換を今回提案してみました。またお会いしましょう!

(2015/3/8)